はじめまして、○○○と申します。
今日、この会場でこの檀上で皆様の前に立って
お話出来る事に緊張の中、とてもとても感動しております。

健康がとりえだった私が1995年、21歳の春に、体調を崩し、風邪だろうと思って
近くの診療所に行きました。そこで、すぐに大きな病院へ行くようにと言われ
翌日、紹介状を持って病院へ行き、血液検査や骨髄を抜く検査をした結果、ただちに検査入院が必要だと言われました。
何がなんだかわからないまま1ヶ月間の検査入院。結果、
骨髄異形成症候群の不応性貧血という聞いた事もない病気を発症していることがわかりました。
のちに、再生不良性貧血という病気に移行し。
完治まで約10年間戦って参りました。

不応性貧血という病名も再生不良性貧血という病名も
今日初めて耳にされたという方も多いのではないでしょうか。

血液は赤血球・白血球・血小板の3つの細胞が混じり合ってできています。
再生不良性貧血は血液を作っている骨髄の働きが衰え、血液を作ろうとする力が
低下してゆく100万人に5人という非常に少ない割合で発症する原因不明の難病です。

病気がわかってからは、この病気を治すことが私の生きる課題でありました。
以後7年間、お薬での治療が続きました。
薬の副作用で自分らしさを失い、心の病気にもなり
悔しい思いもたくさんたくさん経験してきました。
発病からの、この7年間は試練の毎日でガマンの連続でした。

手さぐりの治療が何年も続き、もうこれ以上試すお薬がないところまで
きてからは、どんどん貧血が進んでゆき、何をするにもしんどくて、
歩き回ることも走ることも階段を上り下りすることもできなくなり
日常生活を送ることができなくなりました。
血小板も0に近い数値となり時計やベルト、歩くだけでも血管が傷つき青アザができました。
ケガが命とりの状態です。
その頃から3週間に1度輸血のお世話になりました。
ここから、この病気との本当の闘いが始まったように思います。

血液は、人間にとっての生きるパワーの源です。
輸血をするとその力をまじまじと実感することができました。
それは目でもハッキリとわかります。
輸血をすると爪もあっかんべーをしたこの目の下の部分も白から少しだけピンク色になります。
体内の血液が少くなりすぎると脳へ酸素がうまく運べなくなるため頭が割れそうに痛くなります。
輸血をするとその頭痛も貧血からくる動悸も少し軽くなりました。


この病気を完治させる残るひとつの治療、それは、「骨髄移植」です。
主治医の先生から、「骨髄移植しかない」と告げられました。
ここまで頑張ってきたんだ、ここから逃げたいけど逃げたら負けなんだ、私は1人じゃない。
なにくそ根性で絶対病気に勝ってやる!と移植を決意。
移植ができる大きな病院へ入院、すぐに移植にむけての準備が始まりました。

移植をするには私と同じ白血球の型を持ったドナーさんが必要となります。
兄弟間でHLAが合う確立は4分の1、家族全員での検査の結果、私と兄の型が完全一致し
兄が私に命を分けてくれることになりました。
自分はひとりじゃないと思うと何に対しても前向きに前向きに考えられるようになり
『完治できる最高の治療』ができるんだ、『大きなチャンスがやってきたんだ』とも思えるようにもなりました。。

骨髄移植を分かりやすい言葉で言い表すと、骨髄の総入れ替えです。
その総入れ替えをするには、もともとの自分の骨髄機能を大量の抗がん剤や放射線で0にしなければなりません。
移植は自分との戦いです。この治療さえ耐えたら私は元気になれるんだ、と自分で自分を励まし、
ひとつひとつ困難を乗り越え一歩一歩前進してきました。医療スタッフの皆さま、家族、友達、応援してくれるみんなの支えがあったからこそです。
移植は成功し、移植後の経過も順調、血液型もB型から兄の血液型のO型にかわり、
入院してから106日目、先生から、「もう大丈夫」と太鼓判をもらっての退院。
すべてがうまくいったと信じていました。それが移植後100日が経った頃、徐々に体調が悪化。
私が1番怖れていた事が起きてしまったのです。医師から拒絶していると聞かされました。
病棟のあわただしさ、鼻やのどからの出血、体じゅうのアザ、他いろんな情報で、
自分の命が今危ないところにいるんだと分かりました。

今でもこの頃の事を思い出すと身体と心が震えます。

意識がもうろうとして、ちゃんと目と目を合わせられない私を友人は抱きしめて
応援してくれました。それから御百度参りをして励ましてくれました。
頭の中は「絶対生きたい、絶対治りたい」の一心。
家族もそばにいてくれました。両親は、「前回は予行練習、今回が本番だと思いなさい」と言ってくれました。
まわりのみんなが這い上がろうとする力を与えてくれ、まわりのみんなからたくさんの勇気をいただきました。
ちゃんと目を開けて気持ちを切り替え、現実と向き合いました。
そして、2度目の移植がこうやってすぐにできることに感謝をいたしました。
緊急入院から一週間後、最初の移植の前処置よりもさらに強い前処置が始まり、緊急入院から2週間後、兄がもう1度生きるチャンスを与えてくれ、
再移植が行われました。兄は私の命の恩人です。
再移植から1年が経った2004年の3月には
10年間服用し続けてきた薬にたよる生活から脱出することも出来ました。
とにかく嬉しくて嬉しくて涙がとまりませんでした。

移植をした患者さんは皆こう言います。移植の日は第二の誕生日。
私はこの日が第3の誕生日となります。

おかげさまで病気も完治し
社会復帰、大好きなガーデニングにスポーツ、今まで出来なかったいろんなことに挑戦し、感動の毎日を送っています。
活動的に動ける、思うように行動できることは本当にすばらしい事です。
体で感じる『元気のパワー』は今までに感じた事のないくらいしっかりとしたもので
自分の体が、すこぶる元気になっていくのがよくよくわかります。
今まで見えなかったものが輝いて見えて、心にゆとりができて、何に対しても優しい気持ちになれるようになりました。
今に心から感謝しております。
日々の暮らしの中には幸せはたくさんあります。
その幸せを幸せだと今、感じるられる事が幸せです。

病気をしていなければ知りえない喜びがあり
病気をしていなければ味わえない感動があり
病気をしていなければ感じられない優しさがある。
この10年間で得たもの、それは私の宝物です。

今まで、その時その時で目標を立てて、それに向かって少しづつ少しづつ
前進してきた自分・色んな事を乗り越えてきた自分を信じ
今度は私がみんなに元気を発信してゆきたいと、つねづね思っております。

最後に、
血液事業に関わる皆様方、医療機関の皆様、そして家族、友達、応援してきてくれたみんなにありがとう、
心から感謝しています。

本当に有難うございました。